染色作家・若山 真由美
mayumi HISTORY
この布地に合う糸を買ってきて。母から頼まれた「はじめてのおつかい そのボタン屋さんは今も営業しています
建築業を営む父と、自宅で婦人服のオーダーメードのサロンを営む母のもと色に溢れた中で育つ
父の壁紙の見本帳、母のファッション雑誌は絵本がわり。たくさんのボタンや色糸、舶来の不思議な
配色の美しい布地達はおもちゃ
母に頼まれた初めてのおつかいは『この布地に合う糸を買うこと
5才の頃からミシンを踏み、洋服づくり、そして色にこだわり、
中学生の頃から服地に限らず靴まで染めるというこだわり
高校時代は、1週間に1枚、ワンピースを作り、50'sロックンロールファッション
母の古いスタイルブックから、型紙を起こしアンティークデザインの洋服作りに没頭
幼い頃から布地に慣れ親しんできたせいか、デコレーター時代は、テキスタイル会社(布地)
の仕事を得意とし、布地とシルクピン(針)のみでドレスを作ることも多く、
名古屋のシンボリック、ナナちゃん人形の洋服も布地とお花で飾る
また中学生の頃は、流行のアイドルの色は何色?担任の先生の色は何色?と、色鉛筆や折り紙を
並べて人物の色イメージなどをして遊ぶ。umu-wakaストールの色のお見立ての先駆けです。
幼い頃から色とおしゃれと共に。
そしてモノヅクリスト、職人気質は育った環境からでしょう。
HISTORY OF umu-waka
2007年
日本伝統工芸士・大島紬染色家・生多良(うむたら)と出会い、
「大島紬を後世に残す」「生たらの色を後世に残す」をテーマに
大島紬ならではの染めのストール製作をプロデュース
umu-waka 誕生
「 月 光 」本場奄美泥染大島紬 2015年グランプリ作品
(日仏国交150周年の記念の品となる )
日本伝統工芸士・大島紬染色家・生多良の色の大島紬は
毎年、グランプリを取り続けました
2009年
株式会社waccaを設立、若山真由美 代表取締役社長就任し
umu-waka本格的に製作販売開始
(大島紬、奄美大島の探求が始まる)
2009年5月
東京三宿のギャラリーにてumu-waka 初のExhibition開催
婦人画報、STORY、VERYなど雑誌掲載多くなる
2009年10月~
三越伊勢丹グループを中心に販売
2011年~
umu-wakaオリジナルな色名(300色以上)と、一色一色の色物語にファンが増える
販売スタイルをギャラリーにてExhibition、個展スタイルでユーザーへ直接販売スタイル80%に転向
2016年
伊勢丹新宿店にてポップアップショップ大盛況最中
生多良の病気のため染めが乱れる。鹿児島の染工房での製作中止。
岐阜県のサロンを染色&製作場とする(第二創業期)
大島紬ならではの染め、「白泥染®︎」の染料生産終了のため、独自で白泥染研究始まる
2017年 2年半の研究で白泥染ストール完成
新たな色染め方法、多彩な染めスタイルが始まる
2018年 新ブランドwaka-nudite Exhibition @表参道Perry House Gallery
2019年 umu-waka10周年記念・木曽川鵜飼宴@名鉄犬山ホテル
2020年 umu-wakaストール新作・真珠染め披露会中止
Exhibition中止のためアトリエでのお見立て会